う四半世紀前のことになる。それでも今なお伝説として息づく1979年(昭54)の日本シリーズ。3勝3敗のタイで迎えた大一番、マウンドには広島江夏がいた。
3−4と1点を追う9回、無死満塁と攻め立てた。近鉄が最も日本一に近づいた瞬間だったかもしれない。しかし代打の切り札・佐々木は三振に倒れた。1死後、打席には石渡。運命のプレーは、この回江夏の投じた20球目に起こった。

ウント1−0からの2球目、サインはスクイズだった。石渡はこう述懐する。「スクイズがあると思っていたし、意外と冷静だった。軌道もよく覚えてる。カーブのすっぽぬけだったね」。外されて空振りとなり、三走・藤瀬はタッチアウト。直後のボール球を振って最後の打者になった石渡は、広島バッテリーに敬意を表しながら、苦笑した。
石渡の野球人生に、このワンプレーは深く刻み込まれている。「結果的にああなったけど、そこで落ち込んでいられないと思ってやってきました。(引退後に)スカウトになった時も精神的にキツかった。逆指名をもらえるかどうかなんて所では、あの打席以上に緊張しました。そういう意味では、『なにくそ』と思える、教訓になっています」。2軍監督として若手と汗を流す日々。まだ見ぬ日本一が「最後にスクイズで決まったら…なんてね」といたずらっぽく笑った。
 
走の藤瀬は現球団管理部長として目を細めた。「緊張? めちゃめちゃしたよ。(代走で一塁に立った時)江夏さんにはすごい顔で睨まれたしな。今の選手にもああいう修羅場の修羅場を経験させてやりたいね」。他にも、満塁時の二走・吹石はスカウトとして、9回先頭で中前打を放った羽田は2軍打撃コーチとして球団をバックアップ中。「江夏の21球」では脇役に回った名優たちは、主役として美酒に酔う日を待っている。
写真・記事提供:日刊スポーツ新聞社